生きる瞬間を共有する・舘野泉のある夜のピアノ

2007年2月26日 02時30分 | カテゴリー: 日々雑感

八ヶ岳の小さなホテルから便りが届いた。目を閉じると、春をまつ標高1500mの高原が、記憶の底から浮かび出てくる。

昨年6月、八ヶ岳高原での舘野泉のコンサートを想い出す。5月にフィンランドとスウェーデンの教育や福祉政策を学ぶための旅から帰って、北欧の余韻を求める日々に出会ったフィンランド在住のピアニスト舘野泉のコンサート。会場が八ヶ岳高原音楽堂だったことも、どうしても聴きにいきたい、と思った理由のひとつ。
日暮れには少し早い夕暮れ刻、ちょっとお洒落して音楽堂へ高原ロッジの車で向かう。車から降りて高原の道を少し歩く。目の前に現れる吉村順三のカラマツとガラスの、世にも美しい建物があまりに風景と調和して、息をのむように魅了される。早い夏の高原の緑の中を散策し、近くに遠くに音楽堂を眺める。緩やかに尖った明かりとりを載せた大屋根をもつ六角形の建物がふたつ連なる。カラマツとツゲといわれる木の使いが美しい。それだけでも、ああ来てよかった、と小さく呟く。
ホワイエで外の緑に目をやりながら、演奏が始まる前のちょっとした気持ちの高まりを、ワインや冷たいお茶で静める。

ガラス張りのコンサートホールは、周りの自然と溶け合い、演奏者と外の風景が重なる。ベーゼンドルファーのピアノに俯いて向かう舘野泉は、すてきな白髪の紳士だ。2002年に脳出血のために、右半身不随となるが、2年後に左手だけのピアニストとして復活された方。その夜の演奏も左手だけの演奏。バッハのシャコンヌ、吉松隆のタピオラ幻想は、繊細かつまことにファンタステイック、左手だけの演奏とは思えない力強さに引き込まれる。谷川賢作のスケッチ・オブ・ジャズというのは、軽やかでユーモアがあってチャーミングだった。演奏とともに刻々と変化する外の闇のいろ。
そして、アンコール、なぜか、どうしても曲名が思い出せないのだが、舘野さんが病気を患ってから、この夜の演奏会で初めて右手も使って演奏されたのだった・・・粟肌立つ思いがしたことをはっきりと思い出す。250ほどの満員の席が共有する、同じ刻と至福を分かち合うしんとした充足感に満ちた空間と時間。ああいったことは、滅多に訪れない瞬間のような気がするのだ。
演奏の余韻の中、外は紺碧の深い闇に包まれている。
あの夜のことは、忘れないだろう、これからも。

生きていることは、不思議な縁に恵まれることでもある。今日もいい一日だったと思う。このシーズンで最も寒い一日だったけれど、八幡洋一さんが、自転車で移動する遊説隊をカメラでもう一度撮影して下さった。空掘川の橋のたもとで、商店街の一隅で。
現在、大きな目標をもつ今の私は、人と人がスパークするような刺激的で胸がいっぱいになるような日々を生きている。(大塚恵美子)