今も世界で戦いが・戦後62年を迎えて

2007年8月15日 22時38分 | カテゴリー: 平和・憲法など

毎年、閣僚の靖国神社参拝にスポットがあたる敗戦の日。先の参院選の後遺症か、いつになく弱気を見せる政権与党のみなさん、高市早苗さんだけは自己顕示欲たっぷりだけれど。

今日も遺族の方々をはじめとする多くの人々の戦争への思い・不戦の願いを様々な紙面等で拝見する。戦争に駆り立てられ、心あらずも戦地に赴き、帰れなかった多くの人々。沖縄での内地による置き去りと見殺し、自決を選ばざるを得なかった人々の無念。千人針を指し、かけがいのない人を家族を「お国のため」と万歳で送り出さなければならなかった人々の慟哭。それは、私たちの負の遺産。私たちひとりひとりが、身近な肉親や知人から受け取った戦争の「暗黒」を引き受け、継承すること。

私の父も、以前、ようやく重い口を開いて、短い期間ではあったものの、中国重慶付近に赴いたことを話してくれた。マラリヤに罹り、戦後も体調がすぐれなかったことを含めて。
先日は、私の大好きなカフェ「オードリー」(廻田町、ふれあいセンターの隣)で、居合わせたIさんからもレイテ島などへの出兵の様子など貴重な体験を伺った。同じ町の知人が戦地にいることがわかり、夜半、親戚と偽りやっとのことで訪ねてみると、その方はマラリヤを患い横になったまま、バナナが食べたい、と言ったという。Iさんは、翌晩、手に入れた小さなバナナを持って訪ねてみると、昨晩亡くなったと聞く。
その時の無念さを彼は62年抱えている。それぞれの彼らとともに。
戦争を美化するような風潮があちこちで見受けられ、特攻隊に象徴された政府のお上の都合で「英霊」とされた戦死者たちを国に対する散華のように扱う。それに酔うような若い人たち。「お国」とは、何か。自分を認め、愛することができなければ、他者とともに未来はつくれない、次世代へ手渡せない。自分が肯定できるような平和な社会をつくることこそ、いってみれば「愛国心」のようなものだろう。

アメリカが戦時性暴力の実態として従軍慰安婦に対する日本の姿勢を問う決議に対し、事実を曲解しようとする今の動きは、恥知らずというほかない。
イラクでは、大規模な自爆テロがあったという。アルカイダ・スンニ派の行為と報道されるが、戦争は、まだ、世界のあちこちで終焉を見ない。
宗教、イデオロギー、利権すべて同じ理由から。こういった自己解釈、自己肯定観は、くそくらえ!だ。暑い夏、戦争は終わらない。私たちにできること、目を背けないこと、言葉にすること、大きな担保となる憲法を維持すること。
戦争はどんな理由からもしてはいけない。例え勝利しても敗れても不幸だけが生き残る。
戦争は起こしてはいけない。(大塚恵美子)