蝉時雨の中で「淵の森保全サミット」開かれる

2007年8月18日 00時11分 | カテゴリー: 環境

柳瀬川に入った、水の感触を久々にあじわった。サンダル履きで、バミューダ姿の毎度お気楽な格好を、記者さんから「議員とは思わなかった」と言われた、そうなんだろうね。

先日の「緊急報告」につづき、16日朝「淵の森サミット」と題した宮崎駿さん会長の「淵の森保全連絡協議会」と、渡部市長の現地での会談があった。市長は、メンバーと大勢の報道関係者とともに長靴姿で柳瀬川を渡り、私有地ではあるが、対岸の河畔林で現況の実地確認をした。
その後、淵の森の緑陰の中、設定されたテーブルについて話合いが始まった。宮崎駿さんや安田事務局長からは、「林の全面公有地化」の要望が再度出され、市長は、「林を全て取得したいという気持ちは変わっていない」「今後も努力を続ける」旨の応えをされた。
地権者と業者の間に手付金のやり取りはあるものの、代金決済は9月14日であり、まだ、解約を含め、公有地として取得できる可能性があることから、連絡協議会が市の意向をもって直接、地権者との話合いに出向くことが確認された。
宮崎駿さんは、「この土地は、誰のものということではなく、貴重な河畔林として残されなければ」と、生きている川と自然の営みが金銭的なやり取りに終始すること自体が「口が汚れること」と思いを語られる。私も、大地や川、山、林などの先の時代からの「預かり物」を今の人間の経済活動の中で、地目によって「価格」が変動したり、価値が変わってくることや資本主義社会の中での財産権の保障としてのみ考えられないことに、どうしても違和感がつきまとう。
誰の土地か、誰のものか? 誰でも立ち寄り、季節ごとの緑の中に身を置き、増水したり、湾曲したりするあるがままの川の姿や瀬音に耳を傾けられ、足を水に浸すことのできる場であってほしい。目先の経済活動だけに囚われず、100年先のあるべき姿をグランドデザインとして描くべきだろう。失ったものは復元はできないのだ。
開発や治水やダムづくりに巨額の税金を投入し、破壊尽くした今になって、ころころ姿勢の変わる国土交通省や環境省、でもそんな国でも、来週には環境省の視察がこの淵の森で行われるという。1億3000万円に釣りあがった(もし、道がついて宅地化ができればの想定価格)、足元を読まれた数字に本来は付き合うべきではないと思う。でも、この場所は、将来の市民にとっても保全されるべき場所だとして、誠意ある交渉が進むことを期待する。東村山市もあなた任せの他人事のような責任のない態度はするべきではない。市長、あなたの昨日の感性が嘘でないのなら、忘れてはいけません。広く合意を仰ぎ、決断をすべきです。(大塚恵美子)