墨の造形

2007年12月12日 04時29分 | カテゴリー: 日々雑感

20日まで議会会期中だが、休会日に20年来の友人、篤美さんの個展に伺う。華やかでシックな南青山を久しぶりに訪れる。
彼女は、書家である。2006年、2007年とニューヨークでも「墨の造形」と題した個展を開いてきた。しなやかで穏やかで優しい彼女はあまり自分の仕事を喋らないので、毎日賞をとったことなどもいわないから、新聞紙上で知ったりして驚く。司馬遼太郎や森村誠一、工藤美代子などの本の装丁にも墨字を書いているのに、こちらが気付いた時に「そうなの」という。なんと謙虚な!ここがまた魅力。なんだか、気が合うので、ふらっと東南アジアなど一緒に旅をする。どちらも好奇心旺盛のおもしろがり屋なので、気が向くまま無理のないままやって、充分所期貫徹させてしまう、って感じ。
書の道、特に「かな」の美しさには定評のある彼女が、90年代の初め頃から、紙以外の素材、例えば漆器、麻布、有田の磁器、陶器、ガラスなどに墨字をのせて描いてきた。だから私は、藍の墨で書かれた有田焼きの大皿や麻のランチョンマット、漆器の取り皿を普段使いしている。書とは日常のものだという気がしている。
毎回の個展で、彼女の変化をみる。ここ7、8年くらいは、紙を自分で漉き、紙だけでなく、薄いオーガンジーなども挟み、そこにふぁっと墨をのせる。文字だけでない墨が描き出す「もんよう」に惹かれるようになったのだ。和の紙と水と墨。それが溶け合い濃淡、ぼかし、にじみ、と多彩な表情をみせる、と彼女。本当にそうだ。ふたつとして同じものはない。その時の空気と水の温度、何回もミルフィーユのように重ねられた薄い紙の原型と墨の色、水が描くもんよう。額装されたものばかりでなく、屏風仕立てや長く天井から吊るされ揺れるものもあり、空気と少しの風もはらんで、とても不思議で静謐である。
ニューヨークには同行できなかったけれど、ニューヨーカーたちが感心を示した様子がわかる。アートに貪欲な彼らから真摯な質問攻めにあうそうだ。

彼女は、何ヶ所かで「お稽古」をつけているが、小中学生のお弟子さんたちが年々少なくなってきた変化をいう。学校での書道の時間は縮小され、筆をもち、墨をすることがほとんどないことを残念がる。紙と竹の文化。文字に余白と思いをこめる文化。「もうなくなってしまう。それでいいのかしら?」と。
効率優先と簡単便利は、人がもつ想像力や能力を退化させる、そう思う。(大塚恵美子)