京都幻想

2008年7月30日 01時04分 | カテゴリー: 日々雑感

暑い、忙しい。一息つきたい。

このところ、資料なんか読みたくない、だって暑いんだから。買ったまま読めなかった本たち。その中の1冊。茶色のブックカバーのかかった森茉莉。
森茉莉がすき。学生の頃に買った「枯葉の寝床」や「恋人たちの森」は今でも目につく本棚に倉橋由美子や金井美恵子、白石かずこらとともに。
まことにおかしな人だ森茉莉、彼女の価値観の中での美しいものが好きでわがままで生活能力が希薄で上等の蜜の味。森鴎外の膝の上を生涯抜け出そうとしなかった人、その人の久しぶりの一冊を手にしたのは、京都一乗寺の「恵文社」、「絶対気に入るから」と娘に連れられて入ったまことにいかした本屋、恐れ入ったわ。本屋はこうでなくちゃ。どのコーナーも作り手の手わざがみてとれる。気になっていた本や写真集が目の落とされたところにぴたりと「どうぞ」とあるばかりでなく、どうして私の好きなものがわかるの、という品揃えだ。かなり並べ方は脈絡がないようで、そのくせ法則があるのだ。あっ、森茉莉のいろいろ、その中で食いしん坊の彼女が書き散らしたあれこれを、これまた愛した編集者が編んだ「貧乏サヴァラン」を見つける。季節は夏、クーラーの効いた恵文社のあっちこっちをサーフィンして本を手にとる楽しみを堪能する。もう一冊は、トーベ・ヤンソンの短篇集を。娘は迷いながらも澁澤龍彦の一冊を「このシブサワ見たことない」といって買う決意を固める。なんだか店を出る気がしなくてぐずぐず長居となる。「やっぱりね」と娘に言われる、「アンタだってそうでしょ」。

それからあの時は何処へ行ったっけ。今出川へ行って京大の前を通って、第三世界ショップで、彼女が以前ここで買って失くしたピアスをもう一度見つけたっけ。
それから、なんと山登り。吉田山という山が京都の街中にはあるのだ。登りはじめて後悔する、いつも山登りはそうなのだけど。尾瀬の至仏山や燧ケ岳に登った時(実はものすごく自慢気)も登りはじめてすぐに深く後悔したのと同じ。なんでこんなに暑いのに登山しなきゃならないのよ…寡黙となる、誰にも出会わない、こんな山の上にカフェがあるって本当? 怪しい…15分か20分登って急に開けるが目当てのカフェなんてある雰囲気は微塵もない。「あれ?おかしいな」娘もあてにならない。しかし、折りよく出会った青年に聞くとちょっと戻って「頂上」方向とのこと。ほっ、悪夢ではなかったらしい。
辿りついた「茂庵」、来てよかった。大正時代の山居を改造したカフェ(登録有形文化財)だが、街が一望できる。暑さに霞む京都の街。ランチも充分おいしくて、柚子ジュースもシフォンケーキも食べることにする。緑に囲まれ、一列に並んだ窓際の特等席は帰る人がいないくらい。客が途切れなくやってくる、こんな暑い日に、山を登って…それだけの価値はあろうというものだ。いいね、ここ。「でしょう?」。
曼殊院門跡の八相窓もいい、無燐庵の庭も東福寺の方丈もいい、でも涼しくなろうと想い出したのは暑い日の京都か。でもこんな京都もいい。

おまけは宿屋、四条の高瀬川に面した片泊まりの旅館に泊まったことがある。あとで新藤兼人の気に入りの宿だったと知る。6畳の部屋で3組きり泊まれない。浴室は共同、畳も調度も古びている。しかし布団も座布団も楊柳で、湯上りのタオルは幾度も洗われた晒しガーゼだ、多分井澤屋の。朝ごはんの時に団扇で扇いでくれた若い女将さんはやさしくきれいな人で、この建物は140年前のもの「あちこち傷んで」と言っていた。近くの豆腐屋の飛竜頭を炊いたものと出汁巻き卵、近くの村上重の漬物。おいしくてしみじみ食べる。開けた窓、御簾の向こうに朝の高瀬川が光る。ああ、また訪ねたいものだ。「またお出でやす」と言われたし。えっ、幻想?まさか。すこぉし、涼みました? 暑中お見舞いでした。(大塚恵美子)