今も戦争が 原爆投下63年の夏

2008年8月10日 03時05分 | カテゴリー: 平和・憲法など

オリンピックに関心はないものの、「平和の祭典」と銘打った国の威信、党の権力をみせつけるような大舞台の対面で、また戦禍に泣く人々が出た。グルジアとロシアの戦闘だ。
原爆投下63年目の夏を広島、長崎が迎えた。長崎県の波佐見で陶磁器を扱う仕事をしている娘からメールが入った。「11時頃にサイレンが鳴り、誰かが原爆投下時刻だね、といった」とメールは始まる。「いつも通りの普通の時間に突然鳴ったので、あの時も戦争中とはいえ、普通の日に急に起きた出来事だったんだなと思い、恐ろしく悲しかった」とつづく。
日常を切り裂いた長崎の爆心地に立ち、思わず上空を仰いだ日のことを私も忘れない。長崎市長の平和宣言で「戦争に勝ちも負けもない。あるのは滅びだけである」という永井隆博士の言葉が引用されていた。ロシア、アメリカ、イギリス、フランスそして中国の核保有国の指導者たちが勢ぞろいした北京オリンピック開会式。本当に「平和の祭典」となるのか。

最近、読んだ本に「廃墟の上でダンス」というチェチェンのロシアとの戦時下を描いた本がある。破壊され尽した街、銃弾の痕だらけの家々、そこで生き抜いた少女の真実だ。今、ロシア軍が侵攻し空爆を拡大させるグルジアは、チェチェンのすぐ近くだ。南オセチアに先制攻撃をしかけたのがグルジアだ、とか、独立した国が他の州の独立を認めず主権を侵し侵攻する、あいも変わらぬ戦争の言い草だ。正義の戦争なんかない。
印象に強く残った本がもう一冊、写真家・石内都の「ひろしま」だ。広島で被爆した人たちがその瞬間に着ていたワンピース、衣服、身の回りのもの。花柄の若い女性のワンピース、それまであった確かな生活がそこにみえる。胸を衝く。
核兵器廃絶や核軍縮が、この8月には繰り返しいわれるが、世界の事態はよくなったのだろうか。8月を過ぎると平和をどこかに旅立たせてはいけない。日常に平和の作り方を実践しないと「あるのは滅びだけである」。(大塚恵美子)