尾崎翠と川上未映子と文芸彷徨

2009年3月29日 16時36分 | カテゴリー: 本の楽しみ・図書館・学校図書館

第七官界への招待

議会が終了して、くたくた気分の翌日、駒場の日本近代文学館で開催されたシンポジウムに出かけた。「尾崎翠の新世紀〜第七官界への招待〜」と題されたシンポ、タイトルだけで「ああ、行かないわけにはいかない」と、しかも川上未映子が講演だ!
若い男女が多い200名もの人で、スタバでも、岩波映画でも、下北沢の芝居小屋でもない空気。
2日間のシンポの実行委員長・浜野佐知さん(尾崎翠の映画を撮った監督)の言葉によれば、「地下水脈でつながった翠の娘たち」と(イケメンの若い男たちはもちろん娘であろう)。
「乳と卵」で芥川賞をとり(独特のながいながい話し言葉のような文体は好きかどうかでまっぷたつだ)、中原中也賞も受賞した川上未映子、そこにいるだけで、他を圧倒する雰囲気の人。目が見開くほどのすてきさ加減、ふわっとしたワンピースから挙がる大ぶりのバングルを嵌めた腕の動きも美しい。ゆっくりほとばしる言葉は大阪の言葉で、平かで且つまことに哲学的な様相をも含みこむ。「作家」という定義を獲得した人が獲得した自然体というか。
彼女の語る尾崎翠は明治29年鳥取生まれの作家だ。作品は多い訳ではなく、日本女子大在学中から小編を書き、それがもとで退学させられた後も、モダンにして哀感も小さな笑いも漂うような作品を書き、35歳で代表作とされる「第七官界彷徨」を発表する。まずタイトルに「え?」とひっかかる不思議な小説で、とりとめないようで、小さなエピソードともつかぬ日常の中の小片が連なる。淡いようで密度の濃い味が漂う。
川上未映子さんは、自らを「感じる専門家」とし、尾崎の世界観を「円環を描くイメージ」、小説の構成、人物の関係に「終わることのできない入れ子みたいな状態」といった言葉で現した。そうかもね、だから、時々後ろを振り返るように心が離れ難いのか。


ストーリーのもつ意味ではなく、描きたかったのは、時代を超えた、ありそうで、既にある確立された言葉ではまかないきれないもの、そんな感じがするのだ、私にとって尾崎は。
言葉と言葉で埋めにくいものの間。甘美で少し後ろめたく、体にも響き、現実世界に戻り難い。こういう抗えない感覚は、小川洋子の「薬指の標本」や山田詠美の「蝶々の纏足」、そして中井英夫の「虚無への供物」、三島由紀夫の「午後の曳航」にも通底する想いだ。どれも手放したくない。

ああ、そんなことを尾崎翠からつらつら考える。文の芸のなせる業とは、すごいものだ、果てしがない世界へ結ぶ落とし穴である。
視覚も聴覚も嗅覚も超え、三半規管を通り抜け、緩やかにつながる空気の密度、少々の胸騒ぎがし、今までの記憶の断片をしまった透明な抽斗があいたり閉まったり、次の箱が蓋を開きかけたり、この感覚も第七官界にあるかもしれぬ。春の午後、眠りの中でも覚醒される「文芸」の仕業にやられる。(大塚恵美子)