田浪亜央江さんとの平和の集い「女たちは平和をつくれるのか」

2009年8月27日 07時53分 | カテゴリー: 平和・憲法など

イスラエル・パレスチナ問題で問われているもの

22日、田浪亜央江さんを講師に、生活者ネットワーク主催、第3回目の「平和の集い」を開いた。市外からも多くの参加者があった。
田浪さんは、市内で子ども時代を過ごされ、学生時代にはじまるシリアへの留学、通訳として訪問したイラク、そしてイスラエル、パレスチナ被占領地などに滞在を重ねてきた。昨年、田浪さんは、イスラエルにおけるアラブ人社会を中心に据え、社会・文化的な側面、それは日常の暮らしからみた社会の様子、に目線をおいた著作「〈不在者〉たちのイスラエル」で第14回平和・協同ジャーナリスト基金・荒井なみ子賞を受賞された。この賞は平和・協同のための「日本版ピューリッツア賞」と称されているものだ。
田浪さんは、いわゆるフリーの戦場ジャーナリスト、とにかく戦場がみたい、戦争の写真がほしい、として紛争地に赴くジャーナリストに対し、疑問や違和感を感じられたという。そして、戦場を「職場」とするものの見方、日本という場に身を置き、戦争を生活の手段にする実態が現れていることへの危機感や痛みをおもちだ。それは無意識のナショナリズムであり、反論したい、と話出された。
イスラエルは、迫害の歴史からシオニズムにより世界中からユダヤ人が彼の地に終結し、国家をつくっていった。既にパレスチナ人が暮らす地域の上に。国を占領され迫害され、自治区という場所に押し込まれ、9mの高さの分離壁で隔離され、また国外に難民として暮らし、未だ国籍ももてない多くのパレスチナ人を見ようとしないこと、「不可視」することでつくられるイスラエル社会の様子が語られる。そしてそれを容認してきた国際社会のあり方も。イスラエルの特異な差別と排外的な歴史は、国家がもつ普遍的な問題を体現している。それは日本社会や私たちの在りようを逆照射している。

女たちは平和をつくれるのか、は難解なテーマだったかもしれないが、それはひとつの模索のきっかけだ。イスラエルの兵役は女性にも課せられ、「男女平等」を掲げ、女性が男性と同様に戦闘分野を志願する動きがあるという。田浪さんはこれをある種のエリート志向とみる。その反面、良心的兵役拒否者も多く存在する。それから、大変なマイノリティだそうだが、平和運動を行なう女性たちもいるということ。しかし、占領に反対しても、占領を必要とするイスラエル社会のあり方、シオニズムを批判することが不十分だとのことだ。

話を伺う中、歴史修正主義、加害の自己正当化、これはイスラエルだけの問題ではないと気づく。唯一の被爆国としての被害者性だけでは加害者として加担し得る可能性に向き合えないとも知る。イスラエルの女性も日本の女性も「戦争のない状態」を希求する、でも「差別=排外主義のはびこらない社会をつくること」への自覚はあるのか?と田浪さんは投げかけられた。イスラエル人の悲劇は「友人としてつきあえるアラブ人がいないこと」これは、具体にして抽象的かもしれないが、イスラエルに限らず本質に近いと思う。
「私は国によって子どもたちを殺されたくない、そして殺す人にしたくない」と女が希求する平和をつくるために私には何ができるか、それを自問する一日となる。(大塚恵美子)