市民大運動会が終わって思うこと

2009年10月13日 10時47分 | カテゴリー: まちづくり

第46回の市民大運動会が、11日の日曜日に開かれた。ご準備の皆様にはお疲れ様でした。秋晴れの一日で、付け足しのようにオリンピック招致のイベントが併設された昨年より、はるかに多くの参加者の姿が見られました。誰もが、不発に終わったオリンピック招致のことなど当然のように話題にもしていませんが。でも、知事の独善的な思いつきのために多額の税金がつぎ込まれたことは忘れてはいけないのだ、決して。
しかし、広島・長崎でのオリンピック招致への名乗り、というのもなんだか釈然としない。以前より広島や長崎ならいいのでは、との声も多かったけれど、私は何もオリンピックを舞台に、核廃絶、核のない世界をアピールする必然性はないと思うのだ。2020年とは、かなり先の話だし。それまでには「核なき世界」が実現できそうにない、との発想なのだろうか、ちょっとなあ。
私は運動が苦手で、積極的に運動というものに参加することはない。ウォーキングでもしたら、と同僚議員の奥谷さんから勧められるけれど、やなんだなあ。自転車での街あるき(これは何キロでもどこへでも行く)だけが運動とは情けないが。
議員になってからは、町民運動会と大運動会は、不思議だが欠かさず参加している。義務、というものではない。実は結構、おもしろいのだ。普段、全く身体機能を使わない「引け目」の克服と青空の下での、みんなが目的を同じにする一体感が、なんだか新鮮だったりする。一年に一度、運動会でお会いしてお喋りする仲間も増えてきたし。
秋は、長寿を祝う会、子育てまつり、文化祭発表会など地域の方たちとご一緒する機会が多いが、各イベントに参加される方々は不思議と重ならないのだ。なんというか、得意の科目で企画ごとにすみわけされてらっしゃる、というか。なかなかオールマイティというわけにはいかないのが市民の皆さんの知恵というものかもしれない。どこかのステージで、誰かが水を得て活動できるという。
大運動会は、むかで競争、綱引き、玉いれに参加。どれも結果はよくなかった・・・美住町は13町中10位に終わった、どうも優勝できない宿命らしい。年齢?連帯感?根性?参加が少ない?なかなか、人が集らないという悩みもあるらしい。46回、いろんな時代を経てきて、運動会の役割が変質してきたかもしれない。スポーツ宣言都市、という合言葉も、なかなか通用しなくなってきたのだろうか。(大塚恵美子)