クメールの微笑に

2010年1月16日 04時29分 | カテゴリー: 日々雑感

日本橋三越で「アンコールワット展」が開催されているのを知り、「血が騒ぎ」出かけずにはいられなかった。

1994年夏、ポルポト支配による内戦状態に終止符が打たれ、UNTAC(カンボジア暫定統治機構)とPKO(国際平和維持活動)の監視の中で、初の総選挙が行なわれた半年後、私は初めてカンボジアを訪ねた。JVC(日本国際ボランティアセンター)、SVA(曹洞宗ボランティア会)他、国際NGOの自立支援活動を学ぶための東京・生活者ネットワークのスタディツアーを企画し、派遣されたのだ。プノンペンと周辺の農村地帯、メコン河流域などに早朝から出かけ、様々なプロジェクト(女性と子どもの自立、農村、学校、図書館活動、印刷所、自動車修理、井戸掘り、米銀行など)を訪ね夜遅くまで議論した。
トゥールスレイン強制収容所や市場には立ち寄ったが、地雷原があちこちに残る状況ではプノンペン周辺以外は立ち寄れず、いつかアンコールの遺跡群を訪ねたいと思っていた。

その後、1998年に遺跡群のあるシェムリアップを訪ねることができた。連日、アンコールワット、バイヨン(アンコールトム)、タプロム、プレループ、スラスーン、プリヤカーン、ロリオス、らい王のテラス、バライ堤防など伽藍や祠堂、寺院の遺跡や上智大アンコール遺跡国際調査団事務所を訪ねた。炎天下のテラコッタの道を歩き、シェムリアップ川に面したホテルで眠った。出会った数多くのヒンズーの神々や仏像、壁に彫られた女神やアプサラ(踊り子)、回廊の乳海攪拌、マハーバーラタなどのレリーフ、深い樹木の緑。クメールの宇宙観。圧倒的だった。それ以来の恋である。

そして、2003年に再訪。前回、危険ということで訪ねられなかった紅色の砂岩のバンテアイスレイ(女神の砦)やバンテアイクディ、トンレサップ湖や民家を訪ね、茹でたての南京豆ととうもろこしをご馳走になった。残念なことに前夜の嵐で道が塞がれ、プノンクーレンという山岳の遺跡には行けなかったが。

カンボジアを遠く離れたパリでは、ギメ美術館というアジアの美術品、仏像を集めた美術館が殊のほか好きだ。アンドレ・マルローの盗掘でも明らかなフランスの尊大な美意識、支配と略奪の末、カンボジア・クメールの至宝の数々がパリに残るわけだ。よくもここまで、とかなり複雑な思いがするが、ジャヤヴァルマン7世の頭部像などたまらなく好きで、幾度となく足を運んだ。

今回の展覧会は、日本における1990年に次ぐ久々の展覧会といえる。廃仏毀釈され遺跡国際調査団が発掘した247体の仏像やプノンペンの博物館からやってきた初の展示品が多い。
やはり、今回もジャヤヴァルマン7世の顔に魅かれる。バイヨン寺院など多くの寺院を建立し神格化された王の尊顔。はかなげな砂岩で彫られた顔やトルソー。どのような暮らしの中でどんなに多くの人が働き、汗が流れたのだろう。信仰心、エネルギー、輪廻転生、権力者の顔ではあるが、なんとも美しい。同じように多くの人が、三島由紀夫が、魅了されたのだ。クメールの文明が密林の奥深く眠り、内戦の嵐の中でも大きな傷跡を残さなかった遺跡群。1000年の時を経て、出会う。
1992年に世界遺産に登録されると同時に危機遺産にも数えられ、その後の国際協力や人材育成によって修復が軌道に乗ってきた遺跡群の現在だが、自然の破壊力、盗掘、観光地化によっていずれ存続が危惧されることか。文明のあり方を来し方を考えさせられる。(大塚恵美子)