「パリ20区、僕たちのクラス」

2010年7月22日 11時57分 | カテゴリー: 子ども・教育

少し前の話だけれど、岩波ホールで上映中の映画「パリ20区、僕たちのクラス」を観た。どこの地域、どこの国にもあり得る教室の日常、葛藤、矛盾などが鮮やかに描かれて、数週間経った今も強い印象を残しつづける映画だ。
パリ20区というのは異邦人の多いパリの中でも、とりわけ移民の多く暮らすまちだ。リアルな描写はドキュメンタリーではないものの、社会のひとつの縮図である中学3年生の教室の日常だけを映し出す。
フランス語の教師であるフランソワ(元教師であり、映画の原作者)と彼の担任するクラスの24人のさまざまな生い立ちと個性の子どもたちとの1年を映し出す。舞台は実在の中学校で、生徒や教師、父母役も同校の人たちだという。教室=僕たちのクラス以外をほとんど映さないカメラワークの徹底にも驚く。

映画が終わり、子どもたちとの1年が終わり、狭い校庭でサッカーに興じる生徒、校長、教師たち、あちこちを向いた椅子の並んだ教室とエンドロールを眺めている間、何も解決されていない、という思いが湧いてくる。
そう、教師と生徒が対等に亘りあい、衝突し触発し合う授業の中で、生徒の指摘、挑発から次々と日常の実態や直面する現実が表面化するが・・・それはひりひりと痛いが・・・映画では何も解決されない。

フランス語という「母国語」、生きていくために必要な言語を伝え、学びあう現場が浮き上がらせるのは社会の様相、構造、矛盾、差別、格差やひずみといったあらゆる現実。その中で自分の立ち位置を探る生徒たちの悩みやいらだち。ぶつかり合う個性と個性の中で、フランソワ自身も自らの矛盾や欺瞞に気づかされることも。
やってられない現実の中に身を置いても、それでも学校に通ってくる生徒たちに対し、教師が担いきる支えきる状況には遠く、教師の手に余る社会環境。それでも、教師と生徒の毎日のやり取り、ひるまない対話の応酬が醸し出す、一緒の時間を生きているんだという共有の実感と空気が充満し、観る者を圧倒する。

フランスの教育制度も垣間見える。職員会議でも教員同士が議論し、悩みを吐き出させ、教師を孤立させない緩やかな共感と連帯がある。父母や当事者である生徒を入れた会議など、合議制の民主的な教育の尊重がある。

誤解、怒り、笑い、自己主張、抜き差しならない教室の日常から「教育とは何か」に対し、安易な答えを用意しない映画、ハリウッド的なハッピーエンドや大団円を迎えない映画は、観客にその続きが手渡される。(大塚恵美子)
神田神保町 岩波ホールで8月6日まで