豊田直巳さんが語る「意図されたものを見抜くちからを」

2010年8月9日 10時02分 | カテゴリー: 平和・憲法など

7日、経堂の生活クラブ館で開かれている豊田直巳写真展「未来を紡ぐ、子どもたちの願い」に伺い、スライドトークを聞いた。豊田さんは東村山市在住のフォトジャーナリスト、その冷静な仕事にはいつも畏れに近い感服のきもちをもつ。写真展への賛同は1000人を超え、来場者は344人とのこと。
選び抜かれた写真の多くは、イラクの、サラエボの、コソボの、アチェの、モンゴルの子どもたちのまなざしと、それを取り巻く環境の苛酷さ、劣化ウラン弾で破壊され放置された戦車、破壊されたまち、難民キャンプ。今までに拝見したものも数多くあるが、その視線にやはり立ちすくまされる。あふれる情報、正義の戦争、民族浄化、テロとの戦い、と名づけられたそれらが誰にとってもしあわせをもたらさない、ただの狂気の増幅にすぎないと思い知らされる。隠された真実が宿る。一瞬の真実を豊田さんは切り取り、遠くはなれた(距離も、またこころも)私たちに伝える。私たちが知っているつもりのものは一体なんだったのか。

今朝、広島から戻りました、と日焼けし無精ひげの豊田さん。5時からのトークは、いつもながらの超がつくほどの刺激的な展開。
あふれる情報は真実を隠蔽し、意図した方向に私たちを導く。いくつか紹介された新聞の投書欄に見る「日本人の正論」のこわさを指摘される。違和感のあるいくつかの投書欄の声ではあるが、いつしか多くの日本人の世論ともなる、じわじわとした伝染力をもつ。ネット社会が映像が瞬時に伝える情報の意味を確かめてみたか。メディアの情報操作そのものを受身で見るな!立ち止まれ、ということだ。
「そうだ、そうだ、かわいそうだ!」「ジエイタイだってよく貢献してるじゃないか」「テロは怖い、やっつけろ!」こんな風に一方的に加速する被害者意識はどこからつくられ、どこに向うのか。被害者によりそう被害者意識の暴走がこの上なく危険であると。被害者はまた加害者になり得ることをどれだけの人が意識しているのか。息苦しくつらい指摘がつづく。
自分たちが今、立っている場所を自覚し、意図され隠されたものの本質をみる力を培わなければならないのだが。
選んだわけでもない過酷な現実、逃れられない社会の中で、子どものみせる笑顔。それがおとなも動かす未来への期待だ、それをホンモノにする力をつけたい、と願う。(大塚恵美子)