佐野洋子さんのこと

2010年11月15日 03時06分 | カテゴリー: 本の楽しみ・図書館・学校図書館

第49回の「市民産業まつり」が13日、14日に開催。秋晴れの中、初日の朝早くから大勢の人で賑わった。模擬店も野菜の出展も花卉もどのコーナーも盛況、「どんこいまつり」もごったがえしていた。
14日は、山車や神輿の競演の後、夕暮れの中、各町の神社へと引かれて戻る様を町のあちこちで見かけた。神楽を踊りながら行く山車、神輿、大太鼓。終わった祭りの寂寥感がちょっと漂う。お疲れさまでした。

児童文学作家の佐野洋子さんが今月5日に亡くなり、癌であることを公表されて久しかったので、ああ、きてしまった、と受けとめながらも、その部分を欠いた寂寥感がまといつく。
30代で影響を受けた人が佐野洋子さんと清水真砂子さんのような気がする。ストレートで、厳しく暖かい。こういう風であれたら、と思った人。
佐野さんを思い浮かべると必ず思い出すことがある。はるか20年以上も前の話だ。地域の文庫「くめがわ電車図書館」や「文庫連」の活動の中で、講演会の「呼び屋」みたいなことをしていた時期があって、ある晩秋か冬の日、佐野洋子さんを電車図書館にお呼びしたのだ。佐野さんは講演会をほとんどされない。そこをどうしても逢いたい、聞きたいことがある、と手紙を書き、来ていただいたのだ。しかも、東西南北を全く無視した恐ろしい手書きの地図を入れて。
当日、佐野さんは「よくわかる地図だったから」と言って真っ赤なスポーツタイプの車、フェアレディZのような車で現れた。ぽつんと待っていた私に乗るように言われた。電車図書館のある久米川公団周辺をちょっと走ったのだが、降りる時に私は車のドアを路肩の盛り上がったところにぶつけてしまったのだ。あっ!ごめんなさい!焦る私。「いいわよ、息子の車だから、気にしないで」と佐野さん。いいわけない。ああいうところから錆びるんだ・・・なんてこと・・・
大勢の人が集った佐野洋子の会、私は進行役も勤めたのだけれど、何も覚えていないに近い。ただ、熊の出てくる「ふつうのくま」で、黒い熊が衝撃のあまり毛が逆立ち白熊へと変わってしまうところが納得できない、そういう描き方を佐野さんにはしてほしくない、というようなことをくだくだ言ったことだけは覚えていて。あー、余りに向こう見ず、空恐ろしい理屈。ここはかなり恥じ入るが、佐野さんはちょっと困った様子をされて、「ま、そういうこともあるよ」というようなことを言われた。
そして鮮明に覚えているのが緩くまいていた太い黒のベルト、あまりにかっこいいので、そればかりじっと見ていた。
それから、新宿の中村屋で誰かとても大事な人と会うようなことを口にされていた、弾んだ感じがして、おや?と思った。その直後、詩人の谷川俊太郎さんと結婚され、ああそうだったんだ、と何かが一致した気がしたのだ。これらが私の中の直接の佐野洋子だ。

ベルリン時代を書いたものやここ数年の「シズコさん」や「役にたたない日々」まで、いろんなエッセイを折々に読み、笑ったり共感したり。絵本では「100万回生きたねこ」も「おじさんのかさ」も「猫ばっか」も好きだが、「わたしのぼうし」が印象に残る。ストーリーテリングの講習会で私はこの絵本を選んだ。余白に思いがあり、お話しで伝えるには難しかった。でも好きだわ。
そして「かあさんのいす」、絵本の中で一番好きかもしれない、ベラ・ウイリアムズの絵本、訳者が佐野さんなのだ。私はこの絵本が好き、こういう人生が好きだ。これを伝えてくれたのが佐野洋子だ。
大好きですよ、佐野洋子さん、ゆっくりゆっくり心いくまで、おやすみになって。(大塚恵美子)