今年の本 いくつか

2010年12月31日 04時59分 | カテゴリー: 本の楽しみ・図書館・学校図書館

30日で活動終了!寒かったけれど、ほぼ予定は消化できたかな(自分に甘い)。夜はばたんと寝てしまう日が続き、HPアップも随分、さぼっちゃったな。書かねばならないことばかりだが、今日は、本のこと書こ!
今年はあまり本も読めず、振り返ると損した気分。

昨年来、梨木香歩がとても好きになり、手にしていなかった本も読み始めた。「家守綺譚」「村田エフェンディ滞土録」も奇妙な感覚に捉われるが、歪んだビードロガラスから眺めた風景、いい煙草や酒の匂いが雨の夜に漂う気分になる好きな本だが「水辺にて」が特に好き。イギリスでの日々やカヤックで滑りいく水に縁のある土地の記憶と物語、そこには常に自らを見つめかえす視点があり、霧がはれるような静けさの中の心地よさがある。緑や水の匂いや密やかな鳥や獣の姿が「家守綺譚」に映し籠められている。不思議な梨木香歩、とても好きだ。

「小さいおうち」中島京子は「FUTON」以来、気になる作家だが、「小さいおうち」は夏に一気に読み、ちょっと泣いてしまった。ああ、私はこういうのが好きなんだ、とあまり人に話さず、こころのどこかに大事なものと一緒にしまってきた。軍需景気にわく日本は開戦に踏み込み、やがて敗戦を迎える。失われたものは大きく、東京の郊外の赤い三角屋根の「小さいおうち」での奥様と女中のタキのなにものにも代えがたい親密な時間もまた。当時の考証も丁寧にされ、戦時中にあってもモダンで豊かな反面をもつ世の中の描写は、実際にそうだったのだろう、と反芻する。徐々に戦争による変化は訪れ、奥様の小さな恋愛事件にも影をおとす。いつの時でもあなたをお守りしたいと願う日々を私たちは持っているのか。バートンの「ちいさいおうち」につながっていく。

今年出版された清水眞砂子の本「本の虫ではないのだけれど・日常を散策するⅠ」「不器用な日々・日常を散策するⅡ」。後者は市内の本屋「子どもの本 トロル」に取り寄せてもらったばかりで、まだ全体を読み込んではいないのだが。手にしてあっと思う。はじめのページは夏に観た映画「パリ20区、僕たちのクラス」のことだったのだ。共通する思いを発見した。ル・グウィンの「ゲド戦記」を訳しきった清水真砂子の精神性の高さと思索のしなやかさ。旅先で出会った人々、青学での講義、若い人への伝言、子どもの本へのまなざしなど、どれも深く届く。中でも、夫、菅沼純一に対する思いが、まっすぐで羨ましい。茨木のり子や須賀敦子にみる夫婦の肖像と同じ空気がある。いいなあ、改めて清水眞砂子。

そして上野千鶴子「女ぎらい」。これはよくぞ書いたな、と思う。ものごとの根底にある女性蔑視、嫌悪=女ぎらい。このことは「男であること」を論じてきた、と上野千鶴子はいう、まさしくその通り(そりゃそうだ、当人が言うのであるし)。これを認めることはそんなにいい気分のものではないが、でもそうだ、なるほどな、とかなりすっきり視界が開ける。女が女自身への「女ぎらい」は自己嫌悪へと姿を変える。男もまた同じだ。私はかなりの「男ぎらい」、いや正しくは「男性性ぎらい」だが、ここを追求するのも結構しんどいことかと思っていたが、そうか、そうなのか、と合点がいった、あーよかった。

さて、やっぱり本は楽しいわね。そこを通過して何かがみえるようになるってことが。そして相性のいい本屋も、また。このところ、ご無沙汰気味だった「子どもの本 トロル」にちょくちょく寄るようになった。やっぱりトロルはいいよ、だって茨木のり子と清水眞砂子があるんだよ、私のため、みたいでしょ?
本の取り寄せを頼んだら店主の練ちゃんが言った、「アマゾンばっかり利用しないでね(うふ)」って。マズイ、みられてたか・・・
でも、取り寄せ、すごく速いです、やっぱり市内の本屋使わなきゃ、あかん!(大塚恵美子)
写真は、トゥクトゥクのある「トロル」の店頭。東村山駅西口の坂降りてすぐ。