いろいろなところで、元気を伝える人たち

2011年3月22日 05時35分 | カテゴリー: まちづくり

19日にようやく市が「計画停電情報」を配布したが、新聞折込だったため、案外、情報が行き届いていなかった。若い人でも一人暮らし、ましてや失業中で新聞もとっていない、となると人との接点がなくなる。よくいくカフェに灯りがついていたので立ち寄ったら、常連さんが次々に現れ、安否確認や情報交換をした。その時、このちらし配布のことを話したら、なんと店にいた人のほとんどが気づいていなかった・・・でも、このカフェ・ポテリは停電中でもいつも通り開けるの、といってくれる。いろんな人がやって来て、ちょっとした待機拠点となっているのだ。なんと安心なことだろう。
まちを回ってみると、いろいろなことに気づく。パン屋のグレインも通常営業している。停電に配慮し、パンを焼く時間を見計らい、停電中でも店舗を開けるという。私もいつもより頻繁に通い、一人暮らしの方に頼まれたパンを買ったり、茨城で被災した方へのお見舞いのパンを頼まれたり、そしていろいろな情報をもらったり。店はいつもと同じパンの香りと元気があふれる。
Rayが4年間通った保育園の卒園式が19日にあった。計画停電を配慮し、午後の数時間で簡素に式が行なわれたが、ひとりひとりが主役のいい式だった。Rayはちゃんとお返事をし、「大きくなったらピアノの先生になりたいです」と宣言し、卒園証書をもらった。子どもたちの大きくなったら、の夢を私たちおとなは叶える環境づくりをあちこちで応援しなければならない、未曾有の大災害に際して、つよく思う。
卒園式を終えて名古屋の親戚に向かう家族の手土産に送ろうと訪ねたお菓子屋・要吉さんはおいもを使ったスイーツの店だ。こちらも元気で通常営業。マダムに珈琲を淹れてもらって、被災地の方の再生、私たちひとりひとりのこれからの生き方などを長くお話しする。さらにココロが通じた思いがする。
小さなコンビニも花屋さんも事務所の大家さんも不動産屋さんも美容院も地震の被害はなく変わりなく元気だった。
地震の翌日に利用者さんの安否確認に走ったケアマネージャー、ヘルパーの友人たち。毎日、デイサービスに灯りがともる。しかし、送迎のためのガソリン不足が不安、とのこと。配達に回っているお米屋さん、宅配の方も同じ心配を話された。どうしたらいつも通り人の役にたてるかを悩む人たちがいる。
埼玉にいる私の父のところにも週2回ヘルパーさんが来てくれ、圧迫骨折の後があまり芳しくないため、リハビリにも通うがいつもと変わりのない送迎があると聞く。20日の母の誕生日に父と妹たちは母の暮らすグループホームを訪ねたら、こちらも通常通り落ち着いた暮らしぶりだったという。感謝。
友人たちから電話がよくかかってくる。都度、長く話し込んでしまう。みんな、つながりたいと願っている。西東京の友人は15日にリサイクルの店「エコメッセ」のリニューアルオープンにこぎつけた。いつもより大勢のお客様が見え、売り上げもすばらしかったそう。高齢の方も多く見え、ティシュペーパーも買えない、という方々にポケットティシューをいくつも差し上げたり、不安を伺ったりしたそうだ。自宅で月に1回開くミニデイサービスも続行と聞く。
西荻窪でPLAZA FRAUというお洋服の店を開く友人も通常営業、やはりまちの精神安定剤となっている様子を知る。近いうちに元気の出るワインの会を開こうね!と誘ってくださる。
被災地の方々の想像を絶する復興や制御が困難な原発震災の終焉には、計り知れない時間と労力が要ることだろう。誰でも勇気や元気を失いがちのこういう時だからこそ、何かを伝えたい、元気でありたい、つながりあいたい、と思う人がまちのあちこちにいる。私もそういうまちの一員でありたい。(大塚恵美子)