「住まい」をもとめる

2011年4月4日 07時45分 | カテゴリー: 政治を変える

先日、いわき市の知人草子さんの無事が確認できた。携帯電話も携帯のメールも通じなかったので、とても心配だった。少し前に、市内の知人から無事であることを聞き、ふぅつ、と気が抜けた。そして、彼女から電話があり、変わらない元気な声を聞けた。気が転倒していたのか思いもよらなかったのだが、PCのメールだったら、つながっていたらしい。

直接の被災は免れたものの、原発震災の影響が気にかかる。草子さんは版画家で、私は、静かで、暗い夜にひとつの道しるべを灯すような彼女の作品がとても好きだ。「霜のキリン」と「蝶の楽園」という小さな版画をもっているが、煌く石を傍らにおいた荒野にすっと佇むキリンが好きで、毎朝、目をやる。今のところ、創作に向う前に、やらなければならないことや多くの思いを抱えて忙しそうだ。落ち着いたら、また作品に取組んでほしい。

彼女の目下の悩みは、周辺に住まう人たち、特に小さな子どもたちへの福島第一原発の放射能の影響だ。深刻な事態の終息はまだ果てしなくとおく、廃炉までは数10年という。不安材料は消えることがない。小さな子どもづれの家庭に、私のHPで読んでくれた東村山市の被災者受入れ避難施設は使えるだろうか、というお尋ねを戴いた。
1日に市の避難施設等の相談窓口であるいきいきプラザ・メディアホールに状況を聞きに行った。その時点では「久米川憩の家」も「白州山の家」も、どなたも入所されていなかった。「憩の家」は、広い畳敷きの広間(3ヶ所に襖で間仕切りできる)と8畳の控えの間があり、一応プライバシーは保てるし、給湯所とお風呂が使える。ここがいっぱいになるようだったら、「白州山の家」を使って戴こうということだ。八ヶ岳の麓の白州は環境はいいが、商店などから7キロ程離れていることから、1家族だけではこころもとないかも、ということ。市内に避難されている方が対象であり、なによりネックは使用期限が4月末日であることだろう。あとは周知不足か。
丁寧に話を聞いてくれたご担当からは都営住宅やURの情報、赤坂プリンスホテルの受入れ情報などをうかがう。
このところ注目を集めている「赤プリ」は3月末に閉館し、6月30日まで使用でき、700室1600人に個室が提供でき、対象は福島県民だ。

一時的な避難施設ではなく、今もとめられているのは、安全な場所での「住まい」だろう。被災地にあっては、どこから復興していいのか、という段階が長く続き、避難所での生活も3週間を超す、限界の状態にあるだろう。仮設住宅の建設には時間がかかる。
ましてや、原発震災では、家は残った、しかし、20〜30キロ圏内からはなれていても日々の暮らしに悩みはつきまとう。距離をおいてしばし深呼吸したい、これからのことを考えたい、と思う人たちへの「住まい」の確保は難しいことなのか。
一時的な緊急避難施設から「住まい」の提供、確保が重要な時期に入っている。しかし、都営住宅も600戸の入居者が決まったばかり。友人から相談を受けた南相馬から避難されてきた方は、3月23日〜25日の都営住宅入居募集を案内し、希望通り入居が決まったそうだ。URの空き室提供も同様と聞く。ホームステイも限界があるだろう。
草子さんにメールで状況を伝えたが、気になる方々もどうしたらいいのか、思案されている様子だ。
「住まい」あって安心で安全な日常、心身の健康、そして雇用。地域のコミュニティから孤立してしまってはならないし、故郷とのつながり、情報も途絶えさせてはならない。
道のりは長い。ともに悩み、ともに苦しい。
早川和男先生の阪神淡路大震災の後に書かれた「居住福祉」をあらためて手にとる。先生、解決のないまま、更に過酷な事態が起きてしまったよ。(大塚恵美子)