小出裕章とかたる 原発震災以降を私たちはどう生きるか

2011年9月15日 03時24分 | カテゴリー: 政治を変える

9.11から10年、そして3.11から6ヵ月が経った。どちらも、なぜ起きてしまったか、に向かい合うことが充分されていない。回復というものもまたされないまま。
原発震災については、本当のことを隠蔽するがために、放射能が恣意的に拡散され、汚染や被曝の広がりに手をこまねいている。
地震列島に建つ原発は54基だが、定期点検などにより、震災前は35基、震災後8月には14基が稼動していたが現在稼動している原発は11基にすぎない。ひとつの真実として、猛暑のピークを迎えても電力は足りている。

14日に東京都は、100万kW原発1基分に相当する能力をもつ「天然ガスによる発電所」を湾岸地域に建設する方針を打ち出した。エネルギーの地産地消に取組もうとしている。ようやく何かが変わろうとしているのか。

8月27日に、田中三彦さん(サイエンスライター・元圧力容器設計技術者)、中手聖一さん(子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク)、小出裕章さん(京都大学原子炉実験所助教)の3人を講師に「第2回 核・原子力のない未来をめざす市民集会@台東」を開いた。
「3.11原発震災以降を私たちはどう生きるか」と題して会場を埋めた700人の参加者とともに、自らに向き合う時間だった。首都圏で大量の電力を享受し、原発の増設に抗しきれず、加害性を免れることのできない厳しい現実を共有し、いま、何ができるか、どう生きるか、が問われる機会となった。

昨年2月に開催した「第1回市民集会@練馬」で、小出裕章さんをお招きし、計画されてきた上関原発(山口県)の問題性について学び、脱原発を実現させたい思いをつよく抱いた機会を得た。
しかしながら、1年後の3月11日に福島第一原発がメルトダウンする最悪の原発震災を引起し、いまだに収束の兆しがみえない。起こるべくして起こってしまった事態、人災だが、あまりに無策、誰も責任を取ろうとしない。大臣を変えることだけですりかえてしまう。
3.11原発震災は私たちが生きる世界を変えた。放出された放射性物質は日本中、いや世界中に拡がり、汚染から逃れられる場所はない、と小出裕章さんはいう。安全な被曝量などなく、汚染の中で生きていく覚悟をしなければならないのだ。なんという現実。何の責任もない子どもたちに未来はあるといえるのか。放射能に対する感受性の高い子どもたちへの被曝リスクは減らさなければならない。福島の土地を封印し、永久に住まうことができないようにすることを福島の方たちは求めているのか。家族が分断され疎開することで解決ができるのか。私自身の考えに終わりはみえない。ましてや中手聖一さんたち福島で生きる覚悟をされた方たちの心痛、実害はなんと過酷なことか。

この集会で、私は進行役だったので、進行管理に気をとられがちで、3人のお話しに没頭しきれなかったことが心残り。
田中三彦さんは設計者からみた原発の耐震脆弱性、福島第一原発で使われているMarkⅠ型格納容器の欠陥、東電がメルトダウンを認めた時点のシミュレーション解析の嘘などを分析、指摘をされ、福島原発事故はなぜ起きたのか、を改めて確認した。

中手聖一さんは、悪質な「安全宣伝キャンペーン」に対抗し、線量測定や除染、年間20㎜シーベルト基準の撤回など子どもたちを守る行動を起こされ、地域共同体の崩壊リスクの低減に心をくだかれている。福島の現状、中手さんの心情を伺い、福島とつながることの意味を考えさせられた。

研究の前線で反原発を訴える異端の科学者・小出裕章さんが厳然と立ち向かう差別の上になりたち過疎地に建てられる原発の本質は、原発=核であり、核を保有したいこの国の本音、最大の犯罪者は法治国家として1mmシーベルトを守りきれない政府、と断定、東電は倒産させなければならないと。3月12日には、SPEEDIによる甲状腺被曝評価がされたが、シミュレーション結果は公表されず、ヨウ素剤の投与はされなかった。原発の危険性ははじめからわかっていた挙句に現実となった原発震災の実相、原発の真相が改めて浮き彫りとなる。国がなくなっても放射能の毒性は消えない。  
RCサクセション・清志郎のlove me tenderが小出さんのPCから映し出され「核なんて放射能なんていらねえ!騙せやしねえ!」の歌声が重なる。

私たちひとりひとりに問われたこれからの時間。原発=核のない世界を求めないわけにはいかない。(大塚恵美子)
〔写真は、「男嫌い」で意気投合の小出裕章さんと打ち合わせ中のツーショット・love〕