青森番外編 身捨つるほどの祖国はありや

2011年10月14日 15時32分 | カテゴリー: 政治を変える

12日、13日と青森で開催された全国市議会議長会研究フォーラムに出かけた。タイムリーな議会改革がテーマとなった第6回のフォーラムに会派視察として、超党派の同僚議員との参加となった。報告と並行して書いていた「番外編」の方から先に掲載を。

遠方の地の研修はタイトだが、帰りの新幹線で発つまでの数時間、はじめての青森を歩き、わずかながら、この土地を知る貴重な時間を得られた。人口30万人、大きな港町だが、駅前から商店街を経て官公庁が並ぶ広いメインストリートは地方都市のいくつもの例にもれず、閑散としたプロフィールをみせる。並木が色づき始め小春日和の秋の陽光が注ぐ津軽海峡も、かつての主要な海の玄関口だった風情は失われている。東京・青森間が3時間半の新幹線の登場により、今回は研修で訪ねたとはいえ、あまりにあっけなく旅のこころは、覚悟もなく宙ぶらりんとなる。得られたものと失われたもののバランスはわからない。

つかの間の数時間、行ってみたいところはふたつ。まずは、研修会場から程近い「棟方志功記念館」へ、佐藤議員ら同僚議員と連れ立って出かける。
独特の版画と文字。私の京都土産の定番「御池煎餅」の銀色の缶に描かれた棟方の忘れがたい文字。小さな時から慣れ親しんだ一番身近な棟方がコレ。
棟方の意志に沿い展示数の限られた校倉づくりの美術館は「青森の木の下にベンチが2、3おかれた」小さな森の中の一棟。動きのある墨のいろとかたちが踊る。二菩薩釈迦十大弟子に迎えられ、いいなあ、と思ったのは故郷の空を舞う鷺の群れと沢寫の花。巫女や女たちが舞い、祈り、祝う姿。女たちの手はひときわ大きく指先は尖る。棟方の描く青森の懐の姿、女たちの逞しさとエロスが溢れる。「わだばゴッホになる」いえ、ゴッホではなくピカソの海辺の女たちや「アビニョンの娘たち」やマティスのダンスなどの音楽的な愉しさと躍動感、怖れに通じる何かがみえる。ピカソは棟方に出会ったろうか「わだばムナカタになる」とは言わなかったかもしれないが。
いろいろなことへ思いがつながる、カンボジア、アンコール遺跡に彫られた巫女たちの健康なエロスに通ずる何か。
棟方はある時期から版画とはせず「板画」と。「板の声をきく」しごと。
柳宗悦や河井寛次郎との出会い、裏彩色を柳から薦められたと。その赤は、河井寛次郎のピンクに近い色、私の好きないろ。墨といろと造形の一体感と、風土から発せられた魂みたいなもの。棟方、これからも好き。

マッチ擦る つかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの祖国はありや

歌人・寺山修司が私の青森だ。津軽の海を眺めなければ。寺山を求めて津軽海峡に向っても、いっときの旅人なぞに寺山も海も姿を現さない。かつての青函連絡船「八甲田丸」が岸壁に泊まるからんと明るいベイエリアだ。潮の香りのしない板張りの遊歩道を歩く、後ろから学生服の男子たちが自転車で駆け抜けていく。

昔は賑わったであろう飲み屋の並ぶ小さな横丁や、表通りの商店街を歩く、ほとんど人とすれ違わない。市の出資の入った再開発ビルアウガ、中の「青森市民図書館」と「男女共同参画プラザ・カダール」に立ち寄る。読書団体連絡会が運営している「リユースBooks」、「子育てひろば・さんぽぽ」、「青森公立大まちなかラボ」などが入った複合ビルの定番といった感じで、青森である個性はみえず、下のテナントに客の姿は少なく収益のあがらない頭の痛い資源のようだ。市民図書館は、6〜8階に亘るゆったりとしたスペースだ。でも、30万人都市に唯一の図書館らしい図書館とのこと、あとは各地域センター併設の図書室(配本所)と移動図書館があるのみと伺う。
ここでもぶらぶらとブックサーフィンしながら寺山を求めるが、わずかに「郷土資料コーナー・詩歌」に幾冊かがあるのみ。
10代の終わりごろ、寺山の歌、ことばにぞっこんだった。
私の青森は寺山だったのだ。
さて、気を取り直して、青森の林檎を発酵させたシードルをファクトリーで買おう。ブルターニュのものより林檎の味がする、おいしいシードル、何種類もある。
夕刻の新幹線に乗り、家にたどり着いて一杯、資料を読み返しながら、おつかれさま。(大塚恵美子)