自由ブルージュ滞在記

2011年12月14日 05時31分 | カテゴリー: 日々雑感

ブリュッセルから言語圏の異なるフランドル地方のブルージュまでICで1時間。20分遅れでやってきた列車はかなりボロ、到着したブルージュの夜の街は霧雨・・・観光客らしき人は見当たらず、降りた人々は足早に消えていき、珍しく心細く落ち込む。
雨ではいたしかたないのでタクシーでホテルまで行ってもらう。booking com.で予約した暗い運河に面したホテルに投宿。部屋は天井も高く広いが殺風景、家具も安っぽい。カーテンを開いてみるが、闇の中に運河は暗く沈む、ちょっと期待外れの気分で眠る。

ところが、朝、カリヨンの音色で目が覚め、窓を開いてみると、運河を白鳥がこちらに向って泳ぎ、運河に架かった石の橋を人が自転車が通り過ぎる。ゆっくり明けていく朝の光景に目を見張る。左手には石造りの塔を戴く建物の脊陣と黄色く紅葉した樹木が見える。
すっかり気分は上々となる。朝から灯された蝋燭の灯りの中で、朝食は焼きたてのパンも茹でたての卵もおいしく、運河を泳ぐ白鳥や鴨に目をやりながら戴く。
一人旅の女性に初めて出会った、と声をかけてくれた同じホテルに泊まっていたカモハラさんという同年代の女性から、40分ばかりの運河クルーズと鐘楼に昇らないかと誘われる。気が合いそうなので、午前中をご一緒することに。

ブルージュとは橋、という意味で運河には50の橋がかかっている。昔、海運貿易で栄えたブルージュも北海からの土砂で水路が塞がれ、中世のまま、ひっそりと街が閉じられ残った歴史をもつ。運河は中世の面影を残す観光の柱だ。小さなボートに乗り込み運河を巡るのは視点が変わりとても楽しい。水曜日に開かれている市場に出っくわし、360段の階段を昇って街一番の高さの鐘楼のてっぺんまで昇ると、街が見渡せ、カリヨンの数十の大小の鐘を演奏する場面も見ながらすぐ傍で奏でられる極上の音色を聴くことができた。
ビールとお昼とお喋りを楽しんだ後、カモハラさんはアントワープへ発っていった。

街の中心に、赤い煉瓦を積んだ切妻の階段状の屋根をもつ建物に囲まれたマルクト広場があり、市庁舎と鐘楼がシンボルだ。市庁舎の中の今も使われているゴシック様式の会議室を見たり、評議会室に残るカール5世の暖炉なるものを見たり、ブルゴーニュのマリーという最期の公女の逸話やトルソーを見たりするうちに、大国に翻弄されたフランドル地方ブルージュの歴史をおぼろげながら知ることになる。
恵まれた繁栄の土地を狙うフランス、ドイツ、スペイン、イギリスに政略結婚を含め支配された歴史をもつブルージュだが、圧制を跳ね除けた市民の反骨の象徴が「自由ブルージュ」だ。14世紀にフランスの圧制に対し立ち上がった市民の銅像がマルクト広場にある。「自由ブルージュ」とは「ブルージュ自身が領主のような権力をもった町」という意味であり、町の主体が市民であるとしている。これには感激してしまう、なんたって14世紀に確立されたのだから。
歴史を知ると街歩きは俄然楽しさを増す、病院を改装したメムリンク美術館や繁栄の時代にイタリアからもってきたミケランジェロのマドンナのある教会など興味深い。

そして晴れた半日、自転車を借りてダムという小さな街を訪ねることにした。運河に沿って風車を眺め、ひたすら並木道を7㎞ばかり走行する。暖かな陽光の中を快適なギア付き自転車で走る気持ちの良さ。並木道、運河、牧草地、牛や馬、遠くに風力発電の風車も並ぶ。到着したダムの街の居酒屋でビールでひとり乾杯を。隣の市庁舎からカリヨンが響く。小さなすてきな本屋と教会きりないような小さな静かな街、いい午後だった。

私の中でブルージュは水の都から「自由」の都へ、大きくイメージを変えた。教わることや発見が多く、今の日本の問題を思い起こす。つかの間でも旅はすてきだ。(大塚恵美子)