南相馬行き

2012年6月12日 09時44分 | カテゴリー: 政治を変える

6月議会突入前、一般質問の通告を済ませ、福島県南相馬市に昨年から移住している知人のMさん夫妻を、同僚の佐藤議員と訪ねた。「一体いつ来るの?」といわれ、やっと約束を果たせた。

3.11以降、石巻、仙台、東松島、郡山を訪ね、被災地の支援、仮設住宅の訪問などをしてきたが、南相馬はフクイチから20〜30キロ圏というまさしく原発震災の影響をはっきり受けた地域だ。
佐藤さんの運転で東北道をまっしぐら、那須0.26μシーベルト、安達太良0.36、郡山0.38と放射線量は高くなる。郡山を抜け、二本松で一般道へ。
川俣を越え、飯舘村を通過する。小さな山に囲まれたどこまでもつづく畑地、でもその一面の緑に、ビニールハウスに、作物の姿はなく雑草と野の花が茂る。人家は何事もなかったかのように、しんと建つが、人の姿は全くなく、子どもの声はどこかに消えている。静かな美しい村里だけが残る。役場前の線量は1.45μシーベルトを超す。山には野生の藤の花が咲いている。悔しさで言葉がつながらない。

南相馬に到着し、元東村山市民のMさんと久々の再会。
まず、4月に警戒区域解除となった小高区に向った。新しい立入り禁止のラインまで行くが、そこは0.3と、線量が一際高い訳ではない。野馬追いの絵馬が奉納される小高神社は大きな石の鳥居が地震で崩壊し横倒しになっている。灯篭も頭だけ置かれている。神社の本殿前でぐらっと地震がきた。神殿がみしみしと揺れ恐い。7月には野馬追いが予定されるが、準備は手付かずのように見受ける。
浜通りの小高の地域は途方もなく一面水没したままだった。ところどころに水没し錆びた車体が放置されたまま。遥か彼方に津波が超えて来た防波堤が見える。声も思いも失う。
いちはやく復興した東北電力の火力発電所を迂回しながら、延々と広がる家々の土台きり残っていない地域と崩壊したままの海浜の道路を黙々と伝い歩く。今は静かな海。全く人気のない浜。

電柱がつながって傾いた地域は、点在する大きな家々の中はがらんど、2階部分だけが流され辿りついた家屋、放置された畑などが広がる。大まかな瓦礫は撤去されたものの、どこから手をつけろというのか。ここでの時間は止まったままだ。

昨年6月、佐藤さんが訪ねたという海辺から3キロ離れた小学校は未だに復旧されていないが、南相馬の中心街は地震の影響もほとんどなく津波も襲ってこなかった。中心街にある学校は避難所となっていたそうで、多くの被災者の方とボランティアで溢れ、街には自衛隊員の姿と装甲車などが目立っていたという。
1年経った今は、一見、平常通りの街だが、閉じられたままの店も目立ち、人通りはほとんどない。子どもの姿も高校のグランドできり見かけなかった。津波がきた最終点あたりではガードレールに2台の乗用車がさかさまにひっかかったままだ。家族は離散し、暮らしを営むための仕事はどこにあるのか。

翌日は、喫茶店で経営者のパパママからも話を伺い、市庁舎、議会、FMの収録スタジオ、駅前にある中央図書館を訪ねた。
「災害FM」のディスクジョッキーなどしている俳優のMさん、復旧の状況、「相双神旗ディネード」というご当地のスタッフで撮った映画の話など、夜は呑みながら話が尽きない。

放射能の被害は同心円で決められない。山際の線量が高く、除染は不可能だ。津波で地盤を失った地域の嵩上げをしても、ここに人が戻り、再び暮らしが再興できるのだろうか。自然災害だけなら、復興のしようはある。
原発震災の誰も責任をとらない現状に、私たちはフクイチから300キロ離れた距離にあるからこそ、立ちすくんだままではいられない。(大塚恵美子)