二本松、南相馬、郡山へ

2012年7月10日 12時15分 | カテゴリー: 政治を変える

6月議会を終え、国立のNPO「福島とつながる種まきプロジェクトネットワーク」からお誘いがあり、7月初旬に、福島原発にほど近い地域を再訪した。
「種まきネット」は2月に恵泉女学園大学で、「福島の『生の声』を聞く。」という取組みに、福島県二本松の有機農業者と南相馬の小高商業高校の生徒、校長先生たちを招き交流を深めてきた。今回はその時の記録誌を届けに行く旅。

東北道を小型バスはひた走り、那須を通過する頃から放射線量は高くなっていく。高速を降り、二本松の道の駅「ふくしま東和」へ到着。豊かな里山で知られるこの地帯、待ち受けて下さった地元のお母さんたちの手づくりのお昼ご飯をご馳走になり、養蚕を手がけてきた二本松東和地区の「NPOゆうきの里東和ふるさと協議会」のメンバー、福島大学の学生さんと東和の農業、災害復興プログラムについてのワークショップを開く。桑の葉、桑の実を使った製品づくりにアイデアを出し合い、被災後7月からは、「孫に食べさせられる農産物」を、「里山の再生を」との思いを具体化するために3台の放射能測定器を導入し、道の駅に届く農産物を測定し店頭に出している。田畑、水源山林・圃場の放射能測定など「測る、知る、選ぶ」を実践し、「東和元気野菜6つのお約束」といった認証制度をもち、この地域で生きよう、地域・家族の絆を再生しよう、という気持ちにうたれる。
隣合った席の若いお母さんは1歳の子どもを膝に乗せ、新規就農者の今を淡々と語ってくれた。こちらのご夫婦は農水省勤務を早期にリタイアされ東京から被災前に就農された方、と後で聞く。初めて出会う人とのワークショップは人をつなぐ。

東和地区の宿で一泊し、翌日は南相馬へ。ちょうど1ヵ月前に訪ねたばかりの小高、原町地区へ。なんだか故郷のような気がしてしまうのだが、霧雨の中の小高の警戒地区が解除された水浸しの地域は時間が止まったように変化のないまま。中心街の原町にも行き交う人は全くないといっていいほど。瓦礫と化した地区から多くの生徒が通っていた小高商業高校は、原町高校に仮住まい、仮設の校舎が敷地内に建設中だ。お昼休みに駆けつけてくれた生徒たちと交流し、先生たちと懇談。2月に「種まきネット」のプログラムに参加してくれた生徒は卒業されてしまったが、後輩の生徒たち、再会した先生に笑顔で記録誌が手渡される。

小高商業高校の皆さんに送られた後は、郡山へ。行き帰りに通過した飯舘村、全村が避難した人気のない美しい里山は一層の濃い夏草に覆われていた。

3月に訪ねた郡山も変わらず線量が高い。小高商業高校から郡山東高校に赴任された斉藤校長さんのお招きで伺い、生徒会の皆さんと交流を深める。耐震化されていなかった校舎に案内されたが壁などに大きな亀裂が走り使えない状況で、体育館を仕切っての授業などを経て校庭に建てられた仮設校舎で学んでいるとのこと。校庭のモニタリングポストは0.38μシーベルトをさす。学内には南相馬などから避難してきた生徒も多く、被災しながらも受入れの側でもある状況。7人の生徒会の面々は聡明で眩しいほどだ。詩人でもある校長と歩きながら話す「あの子たちはどこに不安を打ち明けられるのですか?」、「そこなんです・・・」と校長が眉を曇らせる「国は遅いんです」無念。思春期の心と体。
次回は、南相馬、郡山から国立に生徒たちがやってくることに。終わりは見えない、私たちはつながらないではいられないんだ。(大塚恵美子)
写真は、郡山東高校の生徒会メンバーと仮設校舎内で