矛盾のかたまり自民党改憲草案

2013年5月24日 23時55分 | カテゴリー: 政治を変える

「ママレボ」主催の憲法の「伝道師」伊藤真さん(弁護士)の憲法講座に参加した。
7年程前に、市内に伊藤さんをお呼びし学習会を開催した時とは、自民党改憲草案も大幅な内容の変化があり、伊藤さんの講義も迫力を増してきた。

憲法の必要性とは、いつも多数意見が正しいわけではなく、多数意見にも歯止めが必要であり、平和、人権など多数意見でも奪えない価値があるはずで、それを守るのが憲法、とわかりやすい。権力行為に歯止めをかける、という考え方が「立憲主義」であり、民主主義社会においては多数派による権力にも歯止めをかけることができる。憲法と法律は全く質の違うもの、別格のものであると伊藤さんは言葉を強める。
法律とは国家が国民に制限をかけるものであり、憲法とは国民が国家権力(多数派・強者)を制限し、国民の権利・自由を守る法、であるのに、自民党改憲草案は、新たに10の義務を国民に課し、憲法が国民を支配する道具に変質してきている、と。その反面、当然のように人権にはきわめて冷淡なものとなっている。

改憲草案の特徴は、①非立憲主義へ ②平和主義から戦争をする国へ ③天皇の元首化と国民主権の後退 ④権利拡大には後ろ向き、義務拡大には前のめり、であり、それは誰にとって都合のいいものなのか? 憲法を今、変えればなんでもできるのか? 憲法の立憲主義をきちんと知り、変えることで何が変化するのか、誰が利益を受けるのか、具体的、現実的に考えなければならない、と。憲法を理解するには、、少数の弱者、例えば被災者や普天間の人たち、戦争の終わることのない世界、などの現実を他人事にしない想像力・イマジネーションが必要であり、多数派の権力とはどんな力か(ex.ヒットラーのもたらした経済効果の裏で進めた本意)、改憲とは何を意味し、権力の暴走、戦争の悲惨さ、生活がどう変わるかを具体的に想像する力をもつこと。

草案第3条の日の丸・君が代尊重責務は個人の多様性を排除し思想・信条の自由を最高法規で規定しようとするもの、日の丸掲揚しなかったら罰せられるのか? 草案第9条では、戦争の反省もなく積極的平和主義を排して、専守防衛ではなく集団的自衛権、交戦権をかかげ、日米同盟強化に突き進み、国防軍として徴兵制度が早晩始まるだろう。それを補うのが草案第98条の緊急事態宣言だ。緊急事態とは戦争体制のこと。内閣総理大臣が緊急事態宣言を行うことができ、第99条では絶対服従義務を課している。災害対策ならば現行法で十分対応できるはずだ。憲法13条にある「個人の尊重」は「人としての尊重等」として個人から抽象的な「人」に置き換わりトーンダウンさせている。草案第12条「国民の責務」第21条「表現の自由」では、人権より公益や公の秩序が優先されるため、特定の表現活動及び結社の禁止義務をを課す趣旨であり権力にとって都合の悪いことは制限されることになり、TPPや脱原発を語ることも制限を受けることになりかねない。草案第24条では家族を規定し、家族は互いに助け合う義務があるとし、社会保障の充実よりも家族による扶養義務が優先され、生活保護も介護も家族が負担すべきということになりそうだ。草案第92条では、地方自治体は単なる国の出先機関に後戻りし、地方自治の弱体化という可能性が。今、争点として仕掛けられているのが、草案第96条の改憲手続きのハードルを低くすることであり、時の権力に都合よく変えることが可能となる。そして、あらら、第97条基本的人権の条項が削除されている。

伊藤さんの講義に加え、改めて草案を読んでいる。どこに行こうとしているのか、この国は。もう寝た子ではいられない。これからが憲法を活かす時だともいえるのに、憲法を語ることを一種のイデオロギーとして片づけてきた空気がやばい。
改憲のもつ意味、内容を知ってしまった以上、国にしばられる道、デジャブのような回帰を選ぶことはできない。憲法学者からも愛想をつかされ、矛盾に満ちた、国のために個人があるような改憲草案を多くの人と共有し、やっぱりいらない、ときっぱり言いたい、活動を進めたい。(大塚恵美子)