まもなく8時15分 広島の夏

2013年8月6日 00時00分 | カテゴリー: 政治を変える

まもなく8時15分。広島、原爆投下68年の夏。
晴天の朝、戦時下にあっても営みも小さな喜びも悲しみも一緒にあったはずの朝。
世界の平和を、核のない世界を祈らざるを得ない。
オスプレイの配備を始める沖縄で米軍のヘリが墜落炎上、またか…日米同盟がある限り基地がある限り、繰り返される。未だ反省も咎めもなく、そこにある戦後。
イスラエルがシリアに爆弾を投下したとの書き込みが目立つ。核か?国際情報の真偽がわからない鎖国のような我が国。
核の平和利用の嘘が明らかになっても、再稼働も輸出も続ける神経の麻痺。
生きるというのはなんだろうな、喜びやしあわせの積み重ねだろうにな。
悩ましいことばかりで、小さな子らに、謝るばかり。おかしい。

8月6日、9日、3月11日という日だけではなく、それぞれの土地を歩き、見上げた空はココロを離れてくれない。

石内都の「ひろしま」は美しいが故に日常の喪失を強くココロに刻む。石内さんの写真集をよく眺める。美しきワンピースやブラウス、その主のいない存在が、戦時下にあっても、それぞれにあった日常が一瞬にして喪われた真実と哀しみ、静かな怒りを見せてくれる。
岩波ホールで今、「ひろしま」にインスピレーションを得たアメリカ人の映画作家リンダ ・ホーグランドのドキュメンタリー「ひろしま」が公開されている。
バンクーバーで開催された石内都の「ひろしま」展を軸に、広島で宣教師の娘として成長したリンダの広島との接点。バンクーバーの「ひろしま」展を観るカナダ人、韓国人、日本人・・・今を生きるさまざまな人のことばのつながりを静謐にして豊かに語る。
ひろしま、ながさき、ふくしま。これ以上のことがあってはならない、その普遍的意味をつなげるのは私たち日本人でありたい。(大塚恵美子)