オリンピック招致決まり、失望感でいっぱいの朝

2013年9月8日 13時21分 | カテゴリー: 政治を変える

今更ながらオリンピックとは、市民の暮らしや悩み悲しみから遠い怪物であると知る。
言論も表現の自由も、権力への異議も、統制が加速するのでは、と危惧する。こういった文章も「招致を歓迎しない非国民」としてチェックされることになるだろうな。
それでも宮崎駿監督の引退記者会見の言葉にもあった「この世は生きるに値する」を胸に歩かなければならないのか。いかに足どりが重くとも…か。

経済効果が3兆円といわれても、国家予算にストレートに反映されるものではない。一握りの権力者、企業の利益権益誘導のために、国際社会も加担し共犯という図式に見え、リテラシーなど効く社会でなくなってきていることを痛感する。

今始まったわけではない福島第一原発の高濃度汚染水漏れ、対策が打てないまま、海洋や地下水脈への汚染が拡がる。必要なのは、オリンピックといった祭典ではなく、国際的な科学的・技術的支援を仰ぐことではないか、終わりのない被曝者、犠牲者の拡大の前に。

ふるさとを失った人15万人、子どもたちに甲状腺がんが既に発症している。7年後の子どもたちの現実が怖い。原発事故への賠償請求には3年という消滅事項がある。多くの人が賠償請求をできない、していない現段階にあっても。福島に残った人たちの疲労もピークに達し、地域内でも孤立化や分断が起きていて、仮設住宅に暮らす多くの人は希望が見いだせず諦観に変わってきている。オリンピックが歓迎できると思うのだろうか。

「原発事故子ども被災者支援法」を制定しながらも基本方針すら示されないままだったが、8月30日に突如として基本方針案が公表された。内容は支援対象地域を福島県内33地域としたが、線量基準もなく線引きが新たな分断を生むことになる。合理的な説明がつかないことばかりだ。当事者の声を反映したとは言い難いものであり、公聴会とはいわず「基本方針案説明会」も福島と東京のたった2か所だけの開催だ。パブリックコメント募集も9月13日が締め切りという誠意のなさだ。それが実態だ。

国際社会もこぞって、フクイチは取るに足らない事故だったと矮小化し、ゼネコンと広告代理店や商社が利益を独占する。倫理のかけらもない怪物が跋扈する舞台になるのか。世界の良心があるとすれば、なぜ日本を孤立させなかったのか!と言いたい。

私は思春期の初めに東京オリンピックを体験している世代。東京はどこも突貫工事に明け暮れ、風景は劇的に変わりはした。高速道路が日本橋の上を覆い、新幹線はスピードが命、石油化学製品が何から何までを侵食し(食べ物や洗剤まで)、高度成長期に突入だった。でも、市民の暮らしが根幹で豊かになった訳ではなかった。競争に勝ち抜くことが命題となり格差は拡がった。景気高揚に一時的になってもバブルだった。女子バレーで、東洋の魔女が活躍したが、マラソンの円谷はその後、自死をとげた。長野オリンピック後の荒廃もすさまじいものがある。子どもごころにも「祭りは終わった」と思ったものだ。その後は、さまざまなインフラや道路・トンネル・橋梁や箱ものは、メンテナンスにコストをかけず、劣化が著しい。首都直下型地震にもおびえなければならない。人や社会保障に金はかけずコンクリートに金をかけ、見た目だけ綺麗に飾ればそれでいいのだろうか?本当に招致していいのか?

そして、今、汚染水の問題だけでなく、福島第一原発の状況は深刻度を増している。誠実な報道がされない隠ぺい体質と東電を解体せず、責任を押し付けてきた政府の姿勢は酷なものだ。オリンピックですべて帳消しの気分に私はとてもなれないのだ。国は、今、向かい合うべき問題がある。強制的な帰還ではなく、被曝をこれ以上拡大させず、避難を選択できる道筋を実効力をもち示すことが最優先課題のはずだ。生命の安全と子どもたちの未来を約束するために。(大塚恵美子)