柏崎刈羽原発へ

2014年2月17日 23時01分 | カテゴリー: 政治を変える

柏崎刈羽原発で副所長からレクチャーを受ける。車で案内された構内は写真撮影が禁止だった。

2月12日午後、柏崎市議会の真貝議員の配慮で、柏崎刈羽原発を視察した。柏崎市と刈羽村にまたがる420万平方メートルという広大な東京電力の敷地に7基の原子炉建屋が並ぶ。海側から見ることはあったが初めて構内に入った。現在、原発停止中の構内には東電の社員1120人、協力企業697社(!)から4149人が働いている。稼働中は2000人が加わっていたとのこと。
柏崎には、古くから油田が開発され明治時代には国内で最大の設備投資もされた土地だが、S48年に閉山となる。S44年には原発の誘致が決議され、S53年には第1号炉が稼働した。原発誘致は柏崎の近代史と切り離せない。以前は砂丘だった海岸線の柏崎市域に4基、刈羽村域に3基の原発が並び、起伏のある土地だ。
今回は議会改革についての訪問であり、急遽、視察後に空いた時間内での原発視察ということもあり、サービスセンターでのレクチャーと構内を車で案内してもらう見学に留まり、残念ながら停止中の原子炉建屋には立ち入ることができなかったが、貴重な体験となった。

主に時間が割かれたのは「安全確保対策」についてだ。同じ東電の福島第一原発の事故と比較しながら話が進む。中越に位置する柏崎は福島原発事故以前に中越、中越沖地震という大地震に見舞われ、東日本大震災と比較すると、福島(三陸沖)がマグニチュード9.0、中越沖は6.8、最大加速度は福島で550ガル、中越沖で680ガルの規模とのこと。ただし、中越沖、柏崎では津波の被害は生じなかった。
福島原発では地震により原子炉は緊急停止したが、全電源を喪失しその後の津波の影響とあいまって冷却機能の停止、炉心損傷、水素爆発と連鎖し、放射能の封じ込めに失敗し、今なお収束には遠い状況にある。

東電はこれを教訓とし(!)柏崎原発では、原子力規制委員会の要求に従い、津波に備え15メートル高の防潮堤を海岸線に構築した。また敷地が浸水しても原子炉建屋が浸水しないような防潮壁、防潮板の取り付け、発電機車、電源車23台を配備し、消防車は42台配備済みとのことで広い構内で確認させられた。万が一の時の冷却のための貯水池建設、水素爆発、放射性物質の拡散を防ぐというフィルタベントを原子炉1基につき2機づつ設置している。また耐震化として免震棟改善、配管サポート等の強化、排気筒の強化等の対応に力を注いでいる話を聞き、現場も見る。そして敷地内にあるとされる断層については「活断層」ではないと確認しているとのこと。現在、安全対策をほぼ終えた東電は柏崎刈羽原発の再稼働申請をしているが、近々、規制委員会の査察があるとのこと。

自然エネルギー導入の取組みについて聞くと、東電の再生可能エネルギーの取組みは1%に過ぎず、バックアップ電源も必要であり自然エネルギーは安定供給ができない、と強調された。北ドイツやデンマーク沖などにある洋上風力発電について聞くと、日本でも広がる可能性はある、とのことだった。サイバーテロ攻撃に備えた司令塔を隠密に設置されるそうだが、場所は「特定秘密」だ。

現地を見て改めて思う。柏崎市の原発立地の苦悩とご苦労はよくわかる。電源三法による交付金は大きく、有効求人倍率も低い地域で、原発が稼働中は連日1万人の人が働く原発は、地元雇用と地域経済を潤してきた。この原発によってもたらされた連鎖から抜けることは難しいのだ。依存の関係によってほかに道はなくなる。しかし福島原発のような事故は起きた。安全は神話だったわけで、柏崎原発が今後も無事だとはいいきれない。だから、安全確保策にこれだけのことをした、あらゆる手立てを講じた、と胸をはられる。

なぜ、巨額のコストをかけ、そこまでするのだろう。たかが、核燃料で核分裂を起こし、お湯を沸騰させ生まれた水蒸気によってタービンを回し電気をつくるしかけに。しかも、稼働によって高濃度の放射性廃棄物は日々増える。最終処分場はみつからない。使用済み核燃料を再利用しようというとんでもない発想にしがみつくことになる。そして使用済み燃料と合わせて燃すMOX燃料へと連鎖する。見据えなければいけない廃棄物の処理、老朽化した原子炉の廃炉の行程は目途が立たず天文学的な数字は明確に公開されず、後回しになっている。原発のボタンは押されたなら、後戻りができない構造になっている。
巨額の安全対策は当然、電気料金に加算される。私たち東京の市民は原発の再稼働、連鎖による電力を望んでいなくとも。

原発事故の影響と思われる福島の子どもたちへの健康被害、甲状腺がんにかかった子どもは75人に達している。因果関係は否定されがちだが、通常100万人にひとりの罹患率といわれるがんだ。ひとたび事故が起きれば、目に見えないが取り返しがつかないのが放射性物資の影響であり、なかったことにはならないのだ。
核燃料を使用しお湯を沸かし水蒸気を得るために、これだけのリスク、安全対策への膨大なコストをかけた実践を目の当たりにして、改めて(改めることはないとしても)原発はやめる決断の方を取るべきだ、と思った。エネルギー基本計画の「原発をベース電源」として位置付けることは狂気だし、国際的にも孤立の道だ。経済社会の構造によるオリンピック招致は免罪符ではない。

真貝議員をはじめとする市議会、行政、市民それぞれに学びを経て、社会構造としての原発に対する思いは十分あるとお察しするに余りある。そのことを無意味だと否定するつもりは全くない。でも、青森県の大間原発(MOX燃料を使う)の建設について対岸の函館市が稼働中止をもとめる提訴をしたことの意味を考えたいと思う。犠牲をしいる構造はやはりおかしい。東電は再稼働ではなく国と一体となって、汚染水漏れが日常化した状態にある福島原発事故の収束、後始末に最大限捨て身で邁進すべきではないか。(大塚恵美子)