集団的自衛権を閣議決定 憲法解釈変更に民意は聞かず!

2014年7月2日 00時57分 | カテゴリー: 政治を変える

71日は歴史的転換の日となった。憲法9条によって、戦後の平和は約束され、構築された。この70年の蓄積はものの見事に時の為政者によって壊された。戦後わずか70年にして、平和主義、立憲主義が壊され、憲法の理念を失った日として3.11とともに刻まれた日となった。 

このスピード感はなんだろう。首相は何が何でも、なりふりかまわず暴走し一気にすすめてきた。鈴をつける者はいなかった。

国民の命、暮らしの安全よりアメリカとの関係が優位であり、日米同盟を強固にするため、専守防衛や個別的自衛権の範囲を超える集団的自衛権という突破口の設定を最優先としてきた安倍政権だ。憲法96条の改正には時間がかかるとなると、私設諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の提言を受け、連立友党公明党との与党協議、「集団安全保障」には踏み込まないものの、ODA(途上国援助)の軍事利用を認め民生支援からの転換をはかり、国会閉会後の閣議決定へなだれ込んだ。国民の命、暮らしの根本にある憲法の権力者をしばるための「立憲主義」に基づく最高法規を国民の意見を全く聞く機会をもたず、そうパブリックコメントすら求めず、憲法を解釈で変更することができると誰が想定しただろうか。裏の裏をかくやり方が許されるなら、もうなんでもあり、である。ひとつの歯止めを私たちはやすやすと失った。 

国会閉会後、4日の首相外遊前に閣議決定と報じられ、30日も首相官邸前に多くの怒りを抱えた市民が抗議行動に続々と集まった。私も夜の11時半を過ぎるまで、官邸前で抗議の声をあげ続けた。周りは若い人が圧倒的に多かった。8時過ぎた頃から人は増え始め、誰も帰ろうとしない、帰れないのだ。しかし、マスコミ、メディアは4万人の抗議と報道する極一部を除き、黙殺に近い。主権者たる市民の不在だ。
安倍は辞めろ!集団的自衛権容認反対!戦争させるな!平和を守れ!市民のありったけの叫びとドラムの音が烈しくなる。
地下鉄の出入り口や道路も部分部分が封鎖され、刻々と警察官、私服の数が増えていく。一歩づつ歩を詰めてくる警察官、小競り合い、触発の瞬間、非暴力!の掛け声で回避される。市民は屈辱的な怒りの中にも、まっとうである。首相のような姑息な動きはできないのだ。

1日の午前中早くに自民・公明で正式合意が伝えられ、閣議決定が早まるとの報道があった。1日も早朝から市民は官邸前で抗議行動を開始し、閣議決定が伝えられても、撤回!の声がさらに大きくなっていき、刻々と集まる人は増え続け、立憲ネットワークの記者会見を終え抗議に加わった私も身動きができなくなる程に。

官邸前の連日の怒りの抗議行動のみならず、全国での行動、識者、弁護士会による宣言、要請が続いた。東村山市議会では「集団的自衛権行使を容認する憲法解釈変更に反対する意見書」請願を1012で決議することはできなかったが、全国では200近い自治体議会が意見書を決議している。

私も呼びかけ人となっている「自治体議員立憲ネットワーク」http://rikken-net.org/1日午後の記者会見で「安倍内閣の集団的自衛権行使容認の閣議決定に反対する声明」の決議文をあげ、「全国フェミニスト議員連盟」http://www.afer.jp/30日の世話人会で決議文「憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使の容認に反対する声明」を出すことを決定した。

ODAの規定も変え、戦争状態の国に派兵できる一体化、原発の再稼働、核燃料再処理も核・プルトニウムを積極的に保持する一連のつながりが見える。集団的自衛権による武力行使は核の時代の戦争を誘発する可能性をもつ。抑止力にはならず攻撃の対象となるばかりだ。

戦争をしない9条の憲法の理念を失ったことで、若い人の未来と平和を約束できず、絶望と屈辱の日々を生きるのはいやだ。

閣議決定だけで、戦争に加担することができる訳ではない。閣議決定を根拠に、自衛隊法の改正など、具体的な手順が必要となる。これは次の通常国会、臨時国会が正念場でもある。諦めることなく、市民の力をつけることだ。よりましな政権交代によって、閣議決定を覆すこともできるはずだ。私たちは国家のための道具としての国民ではない。屈辱に沈み込んでいる訳にはいかない!
政治のすべてを諦めないことから動き出そう、統一地方選は来年4月だ。(大塚恵美子)