もっと強く願っていいのだ   茨木のり子

2014年7月12日 00時00分 | カテゴリー: 政治を変える

少しだけ古い話になる。629日まで世田谷文学館で開かれていた「茨木のり子展」にようやく間に合った。

会場に展示されたポスターの端正な「現代詩の長女 茨木のり子」のプロフィール、詩人の仲間である谷川俊太郎が撮った、とても印象的なもの。自筆の文字でしたためられた言の葉、いくつもの詩。今までどのくらい私は励まされ、眠りについただろう。
「根府川の海」「わたしが一番きれいだったとき」がやはり好きなのだが、暴走する政府の妄想の中で、再度、私たちに「今」を投げかける。「今」が苦しい。
たおやかで美しい。言葉もその人も。組んだ脚も、煙草のくわえっぷりも。ああ、ハンナ・アーレントもね。見事に自分のまま、あんな風に歳を重ねられたらどんなにいいだろう。
眠る前によく開くのは「歳月」。茨木のり子の夫
Yへの恋歌だ、いつもちょっと泣いてしまう、困ったもんだ。
夫を失った後、50歳でハングルを学び、かの国を知り、翻訳も。勁い精神性とはぐらかすことを許さないストイックさ、たっぷりのユーモアと生きる喜び。なんとまあチャーミングな!

茨木のり子の言の葉さやげと、たっぷりと対話し、その足で国会議事堂前へ向かう。首相官邸前で6時半から始まった集団的自衛権容認を許さない抗議集会は900人もの人の波と一緒になる。74日の首相外遊までに閣議決定かと緊張の走る日々。連日の抗議は朝9時半から。国民より重い大国との同盟が大事で、まきこまれる戦争に加担し攻撃を受ける国となるのはいやだ。
私たちは願っていいのだ。諦めないでいいのだ。できる行動を! 

もっと強く

もっと強く願っていいのだ
わたしたちは明石の鯛がたべたいと

もっと強く願っていいのだ
わたしたちは幾種類ものジャムが
いつも食卓にあるようにと

もっと強く願っていいのだ
わたしたちは朝日の射すあかるい台所が
ほしいと

すりきれた靴はあっさりとすて
キュッと鳴る新しい靴の感触を
もっとしばしば味いたいと

秋旅に出たひとがあれば
ウィンクで送ってやればいいのだ

なぜだろう
萎縮することが生活なのだと
おもいこんでしまった村と町
家々のひさしは上目づかいのまぶた

おーい小さな時計屋さん
猫脊をのばしあなたは叫んでいいのだ
今年もついに土用の鰻と会わなかったと

おーい小さな釣道具屋さん
あなたは叫んでいいのだ
俺はまだ伊勢の海もみていないと

女がほしければ奪うのもいいのだ
男がほしければ奪うのもいいのだ

ああわたしたちが
もっともっと貪婪(どんらん)にならないかぎり
なにごとも始りはしないのだ
(茨木のり子 詩集『対話』より)