再び「陸軍少年通信兵学校」のこと

2015年10月8日 02時28分 | カテゴリー: 政治を変える

IMG_0282 (640x478)先日、昭和4年生まれの男性からメールを受け取った。
戦時中、東村山にあった「陸軍少年通信兵学校」の12期生だった方で、敗戦までの最後の生徒だったことになる。

現在の市内富士見町1、2丁目の東村山一中、明治学院高校、南台小、日体大桜花高校、明法学院高校といった文教地区が敗戦時までの4年間、少年通信兵を育成するための陸軍の軍事施設だった。その跡地は市指定旧跡になっている。通信兵の人員拡充が急務となり15歳から18歳までの少年兵を全国から募集し、短期間で軍事教練、モールス符号などの通信技術を養成したという。

その男性は8月15日に玉音放送を聞いた場所を知りたいとのことだった。

当時はあらゆることが軍の機密で、敗戦間際には東村山にも空襲や機銃掃射があり、生徒たちは防空壕、通信壕を掘るために校外に連れていかれ、その場所や宿舎だった国民学校がどこなのか、知りたいということだった。

2008年にふるさと歴史館の企画展で「陸軍少年通信兵学校」があり、私も見てHPに記事を書いた。それをご覧になりメールを下さったようだ。

ふるさと歴史館では、終戦70年ということで、この夏の歴史館だよりも「戦時下の東村山」を特集し、70年企画展として「東村山地域をめぐる銃後と前線」とした展覧会、講演会が開かれたところだった。中央図書館の郷土資料や、ふるさと歴史館の資料、学芸員の方のお話から、かなりのことがわかったきた。

資料をまとめたものをお送りし、ちょっとほっとしたところで、電話を頂戴した。資料を読んで下さり、ご自身が所属していた隊は「雪隊」であったことを告げられた。そのことから、主な疎開先や通信壕の場所のひとつである「村山国民学校」(現武蔵村山市)が、12期生雪隊が防空壕を掘るための宿舎として使われたことがわかった。いつか、「国民学校」を一緒に訪ねましょう、と約束をした。
あらためて庶民の歴史の意味を実感する、敗戦70年となった。(大塚恵美子)